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2006.01.1

「新年のご挨拶」

魁の陋屋をご覧の皆様、明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。
息も絶え絶えになりつつ、ぎりぎり何とか一年を乗り切ることができました。
ご覧頂いた皆さん、ご協力頂いた方々、そして本サイトの華である被縛女被責女に心から感謝し厚く御礼申し上げます。
昨年も新しい出来事が沢山ありました。このようなことを長くしていると良くも悪くも様々なことがあるものです。後半に入り更新が滞る事態が頻繁に発生しご心配をお掛けしましたが、やる気がなくなった訳ではなく歳を重ねるにつれ、やるべきことが増えてくるのです。いつもながらやるべき事ととやりたい事が合致せずに歯痒い思いをするのですがそれも今頃がピークなのでしょうか。
それが私の人生なのでしょう。でもやりたいことはやめられない。
もがきながらも何とか続けて行ければと思っています。
さて昨年も色々な方々にお会いしましたが、私としてはやはり素人マニアとお話をするのが一番楽しいのでした。今では半ばプロになりつつある私ですが、アマチュア精神を忘れることなくアマチュアのマニアの方々との交流を中心に今後も活動出来ればと考えています。
本年も魁の陋屋を宜しくお願いします。

「魁」

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2005.03.02

「おかげさまで6000000アクセス」

つい先日5周年を迎えたばかりですが、めでたいことは続くものです。
「魁の陋屋」はおかげさまで6000000アクセスとなりました。
ここまで来ると「もういい加減休むかなぁ」と思いながらも「ここまで来たのだから行くとこまで行くか」とも考えたりもします。
昨今の秀逸なデザインのサイトと比べれば「魁の陋屋」はまさに陋屋(ろうおく)の名に相応しい作りをしていますが、こんなサイトでも大勢の人が訪れてくれたことは私にとっても大変な名誉であると感じています。
しかしアクセス記念の挨拶は毎度毎度書くことが同じになってまいります。
何か目新しいことでも書きたいと思うのですが、なかなか浮かびません(笑)。
よって今後も坦々と続けさせて頂きますと云う事をご挨拶の言葉と変えさせて頂きます。
今後は、もう少しコミュニケーションが取れるようにサイトリニューアルをしようかと考えておりますので少々お待ち下さい。
兎にも角にも魁の陋屋を今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
【陋屋:ろうおく】意味:狭くてむさくるしい家。粗末な家。
【陋】 [画数]9画 [区点]7991 [JIS]6F7B [シフトJIS]E89B
    [音訓]ロウ・いやしい・せまい

「魁」

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2005.02.20

「おかげさまで5周年」

いつも「魁の陋屋」をご覧頂きましてありがとうございます。
魁の陋屋が始まって5年となりました。一口に5年と云いますが考えてみれば「何もなく過ぎた年」、「嵐のように過ぎ去った年」、「満身創痍に苦しんだ年」、「貧乏地獄に喘いだ年(これは最初から今もあんまり代わり映えしない(笑))」と波乱万丈の年月でした。
そんな中で姉妹サイトの「瑞季の影」が5月にスタート。その後に三和出版さんの「マニア倶楽部」で連載が始まり、次いで昨年には「BDSM-TOKYO.com」を立ち上げました。
全てはこの「魁の陋屋」がスタートであり原点です。
出会い・縛り・責め・笑い・泣き・苦しみ・哀しみ・飲み・食べ・語らった年月を思い起こせば本当に充実した年月であったと感じています。
この万感の思いを綴ることができるのは私に運悪く関係した方々の大きな支えがあります。これは魁の陋屋の女神と云っても過言ではない全ての被縛女性、被責女性、サイト更新協力者、サイト構築協力者、多大なる支援・援助をして下さった方々。また業界関係の暖かいご指導・ご支援もありました。そしてこのサイトを見続けて頂いた方々の絶大なる声援もありました。全ての方々に心より御礼申し上げます。
さて次は10周年ですが如何あいなりますやら(笑)。
今後とも「魁の陋屋」をどうぞ宜しくお願い申し上げます。

「魁」

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2005.02.10

「縛りを見つめる」

最近になり縛りの玄人を見学する機会が多くなった。
私が感じるところでは縛りの玄人は2通りに分かれる。ひとつはショーライブに登場する緊縛師さんの縛りだ。
それは見事なテクニックとスピーディな縄捌きで観る者を圧倒し感動させてくれる。最近では女性の緊縛師さんが非情に多く、まるでイリュージョンを見せてくれるかのように華麗である。
もうひとつは所謂、ビデオや雑誌のグラビア専門の緊縛師さんだ。ショーライブ系の緊縛師さんがライブミュージシャンならばこちらは云わばスタジオミュージシャンのようなものだろうか。ライブ系の緊縛師さんは己の緊縛イメージを瞬時に描き上げそれを昇華するのであるが、スタジオ系の緊縛師さんは完全に黒子である。カメラマンの意図を汲み取りプロデュースを具体的に再現するのが技の見せ所である。
どちらが良い悪いではなく同じ緊縛でも全く世界が違う。
私は玄人でもなく素人でもない半可通な立場であるようだがどちらかと云うとスタジオ系なようだ。
華やかな世界が眩しいわけではないが何せ華麗なテクニックなど全くない。私は基本的にモデルと1対1で行うわけでそれはそれはどう見ても格好の良いものではない。
いつだったか「一人でどうやって吊ってるのか動画で見せて欲しい。」と云う声があったが控えさせて頂いた。なぜなら情けないほどに苦労しているからである。テーブルを持ってきてその上にモデルを寝かせてまだ高さが足りないと座布団を何枚も敷いてみたりそれでも足りなくて今度は布団を重ねたりして少しずつ吊り上げる。あっちが痛いと云われれば最初から縛り直し、こっちが苦しいと云われればすぐに解き撮影を断念する。なんでこんな苦労をしてまで縛らなきゃならんのだろうと考えても好きだからとしか云いようがない。
自分が縛った女性を見た瞬間。それは誰の縛りを見るよりも満足感があるものだ。後は願わくば縛り終えた後に悶え苦しむ女を肴に酒でも飲みながら「イヒヒヒ、苦しいか!もっと苦しめっ!」などと云いたいと思うのだが・・・
杯を持つ手はプルプルと震え「お、おい!大丈夫か!?」「もう限界か!?」「もう少し我慢できるか?でも無理するなよ!」と云う言葉を吐くばかりである。

「魁」

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2005.01.1

「新年のご挨拶」

魁の陋屋をご覧の皆さん、新年明けましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりました。何とか一年を乗り切ることができましたのはご覧頂いた方々、あるいはご賛同いただいた方々そして魁の陋屋を飾る被縛女、被責女のお陰であると思っています。心より御礼申し上げます。
さて昨年もさまざまなことがありました。しかし、こうして生きているということはまだ続けて良いのだろうと勝手に解釈しております。
世の中は大変なことになっていると云うのにこんなことをしていて良いのだろうかと考えてみても好きなものは好きなので好きなだけやるしかないのだろうと思っています。今年も「魁の陋屋」をどうぞよろしくお願い申し上げます。

「魁」

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2004.09.14

「古来の縛りとSM的縛り」

時々「縛責教室」って何と読むの?聞かれる時がある。縛責などと云う日本語はないはずだ。要するにひらがなを取り除き4文字にしたかっただけなのだが私なりには「縛りと責め」でも良いし「縛りによる責め」でも良いと思っている。そんなことはどうでも良いと云うのが投げやりな回答です(苦笑)。
さて責め縄と云う物は昔からあっていわゆる拷責のための縛りである。
江戸奉行所同心は罪人を捕らえるため、あるいは責めたてるために日々縄がけを練習していたようだ。拷責のための縛りは東西を問わずシンプルで強烈だ。昔の責め絵などを見るととんでもない格好で縛り上げられている。これではひとたまりもないのでないかと思えるものばかりだ。全ては息の根を止めるようなもので見る者を圧倒する。現代に至っては人権侵害も甚だしいこの手の拷問はイメージの世界で留められている。
最近になって古来から伝承される「捕縛術」と呼ばれる書物を日頃大変お世話になっている方から拝借して読んでみた。感想としては複雑にして奇妙と云わざるを得ない。しかし考えてみれば、むしろ奇妙なのはこちらの方なのかも知れない。
捕縛術には相当な数の流派が存在している。SM的な縛りは亜流の伝承はあっても厳格な縛り方の手解きがない。古来の捕縛術とは似て似つかぬものばかりだ。見せる縛りと捕らえる、責めることを目的とした縛りの違いは明らかであった。
最近、無残な縛りに拘ってトライしている。ただし無残な中にも切なさやら哀しさやら美しさを出そうと心がけているがとても難しい。

「魁」

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2004.05.19

「悪夢」

縛りはそれ自体大変なリスクを伴う行為であることは承知しているつもりだが慢心は時折、私をペシャンコにする。吊っていてそれを解く瞬間などに手が滑る時がある。このようなことが起きても決して慌てることはないのだが、その後に必ずと云ってよいほど悪夢を見る。その瞬間が更に最悪の形となって夢に出てくるわけだ。
「手が滑る。」「縄が切れる。」「鴨居が折れる。」「ホテルが火事になる。」など様々だがそんな時に自分はどうなるのか。極限の緊張状態に晒されて汗だくで目覚め疲労でやりきれなくなるのだが、とりあえず夢であって良かったと胸を撫で下ろす。
考えただけで身の毛がよだつ話だが絶対にない話ではないからだ。
そう考えると実際に縛る手が鈍ってくるのだ。はやる気持ちを抑えてゆっくりと縛ろうとする自分がいる。
私は臆病なのでそうなるのだろう。縛る者はそれなりの覚悟がなくてはならないし縛られる側は全てを自分に委ねていることを忘れてはならない。過信は禁物だ。
縛りのお好きな方々も憶えておいた方が良いだろう。縛りは危険なのだ。
だからこそ気を抜いてはいけない。悪魔は己の慢心と過信の隙間から片目で覗いている。

「魁」

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2004.05.01

「シンプルな縛り」

「最近、魁さんの縛りは変わってきてませんか?」と云われるようになった。
その時はあまり気にも留めていなかったのだが何人かの友人から云われて改めて考えてみた。どうやら複雑な縛りからシンプルな縛りになってきているらしい。
画像を見返すと確かに数年前からすればそうかも知れない。歳のせいもあるかも知れないが複雑なものから遠ざかっているのだろうか。
縛りは複雑だから良いとかシンプルが一番と云うわけではない。その日の気分であるとか様々な要因が重なってそうなるのであるが、ひとつだけ云える事がある。シンプルなものの奥深さは複雑と云う技を潜り抜けてしか得られないものがあるということだ。
ただ単にシンプルを繰り返すと飽きが来る。そこには深さが見られない。
深さとは正に習熟からくるものであって通り一遍のシンプルだけを繰り返しても深さは感じられないものだ。
例えば「たった一本の7mの縄を使って縛る」と云う過酷な条件をつけてその縛りを見ると面白い結果が得られる。そこには過去に培われた豊かな想像力と感性、そして技量がはっきりと出てくる。
縛りは簡単だが難しい。そして楽しい。
究めれば限がないが興味のある方は色んな縛りにチャレンジしてみた方が良い。そうすればいつの日か縄が要らなくなるかも知れない(笑)。

「魁」

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2004.04.15

「おかげさまで5000000アクセス」

いつも魁の陋屋をご覧頂きましてありがとうございます。
本日めでたく5000000アクセスとなりましたことを皆様にご報告すると共にこの数字を素直に喜びたいと思います。ありがとうございました。
振り返えれば、よくもまあこれだけ続けられたもんだと自分でも半ば呆れております。先日、全ダウンロードを試みたところISDNですとどうやら半日掛かるようです。全く持って塵も積もれば山となりました。
今後はこの山を活かし、私の秘められた(全然秘められてないけど)生涯の史実とするために活動させていただこうかと考えています。
近日中に「縛りと責めの世界」と称しまして新たなサイトをスタートします。
詳細は追ってお知らせいたしますが今年は私にとって激変の年であろうと言われ、それならそうなってやろうと色々なことを企てました。
そんな時に500万アクセス達成はとても気持ちの良いものです。
そして魁の陋屋はまだ続けます(笑)。
これからもどうか宜しくお願いします。

「魁」

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2004.02.20

「おかげさまで4周年」

皆様のおかげで何とか無事に4周年を迎えることができました。
何はともあれ目出度し目出度し。
いつもならば御礼ばかりを申し上げるところですがたまには指向を凝らし皆様に魁流「縛りと責めの世界」をご覧にいれます。
題して<4周年記念特別企画 被縛女画像「濡れる女」>
無残に縛られ灼熱の地獄に悶え苦しみながらもしとどに濡らす女の哀しさを克明に綴った特別作品です。どうぞお楽しみ下さい。

「魁」

被縛女画像「濡れる女」

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2004.1.1

「新年のご挨拶」

新年あけましておめでとうございます。
昨年中は「魁の陋屋」をご覧頂きましてありがとうございました。
また私を影で日向で支えてくれた方々に心より御礼申し上げます。

昨年は私の人生の上で最もヘヴィーな一年でした。
極めつけは病気でしょうか。死ぬかと思いました(笑)。
しかしそんな中でも辛うじて12月に入り第9回縛責教室を開催することができ何とか一年を締めくくることが出来た次第です。
自分でもシブトイ奴だなと感じた一年でした(笑)。
思えば昨年の年初めに某厄除け大社にそっぽ向いたのが間違いでした。
たまたま近くを通りかかったので後厄を払おうとしたところ何とそこは一年ずれていて私は「大厄」だったのです。
私は「何で二度も大厄をしなくちゃならんのだ!冗談じゃねぇ!」と思い立ち去ったのでした。
後は推して知るべし。

さて今年は早々に初詣に行き厄除けをして来ようと思っております。何でもそこの大社は一切合財の厄が落ちるようなので腑抜けの年になるかも知れません(笑)。

いずれにしても「魁の陋屋」は継続して行きます。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

「魁」

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2003.8.30

「おかげさまで4000000アクセス」

2月に3000000アクセス、そして本日めでたく4000000アクセスを達成しました。まずはいつもご覧頂いている皆様、日頃から大変お世話になっている皆様に心より御礼申し上げます。
いつも淡々と更新しているせいか400万もあっという間でした。自分でも何をやっていたんだろうと考えてはみるのですが何もしていないようにも感じられしかし一方では着実に量を増すサイトに何かが確実に続いているとも感じます。最近になってモデル募集の効果が出始めました。ほぼ毎日のようにモデル希望のメールが沢山来るようになりました。もちろんその中で最終的にやっても良いと云う女性は圧倒的に少なくなるのですが、それでもスタート当初から考えると夢のようです。今後は専属のモデルの公開を行いながら少しずつでもモデル募集にご応募された方々の緊縛画像を公開していく予定でおります。どうか楽しみにしていて下さい。
皆様からのメールでモデルの女性に関する情報提供をして欲しいというものがあるのですが、これはそれぞれに固定のファンがいてそのモデルに強い興味を抱いているようなのですがモデルの個人情報は明かすことが出来ません。しかしひとつだけ言えるのは専属モデルは皆さん元気だと云うことです。それだけは皆さんにお伝えしておきます。現在、画像更新がなされていない専属のモデルについても、またいつの日かひょっこり再登場もあるでしょう。それも楽しみにしていてください。
さあ、次回はいよいよ節目の500万アクセスとなります。気力・体力・時の運でこの節目が達成できた折には何か小さなイベントでも行おうかと夢見ております。それまではまた引き続き、日々淡々と更新して参ります。
魁の陋屋を今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

〜漂えど沈まず〜

「魁」

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2003.2.21

「おかげさまで3周年」

光陰矢のごとし。魁の陋屋がスタートして3年が経過しました。まずはここまで継続できたことを素直に慶びたいと思います。長いようであっという間の3年でした。嫌なことなどひとつも思い浮かばない。この世界に光があるのか否かは未だにわかりません。必要のないことかも知れない。しかしこのサイトを始めて大勢の方々と知り合うことが出来ました。それは私にとってかけがえの無いものとなっています。ここに心より御礼申し上げます。またこのサイトを維持するにあたり献身的に支える者達がいたことも事実です。その者達の血と汗と涙がそろそろ染み渡ってきました。縄もこなれてきたように思います。しかし魁の陋屋の縄はくたびれることなく継続してまいります。
継続は力なりと云いますが継続する者に力はなくても継続するに余りある大勢の力が働いているように感じています。
これからも魁の陋屋をどうぞよろしくお願い申し上げます。

「魁」

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2003.2.1

「おかげさまで3000000アクセス」

魁の陋屋を立ち上げてもうすぐ3年が経過しようとしています。
そして昨日この記念すべき3000000アクセスを達成いたしました。
まずは日頃ご覧になっている方々に心より御礼申し上げます。
スタート当初から数えますと約1100日、思い起こせば色んなことが・・・ありませんでした(笑)。まあ、昨年から体調を崩すという事態に陥りはしましたが心持ちはスタート当初とあまり変わっていません。私としてはもっと波乱万丈もっと滅茶苦茶なことになっているのだろうと思っていたのですがそうでもなかった(笑)。
ただし出会いは沢山ありました。ここでお一人ずつ御礼申し上げたいところですが、そうもいきませんので、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
さて目標のないところには結果は生まれないと申しますのでとりあえず次は5000000アクセスでしょうか(笑)。そんな単純なことで喜べる私は幸せ者です。アクセス数がどうしたと自分でも思うのですがひとつの励みになります。
最後になりますが魁の陋屋と私を裏から表から支えてくれる全ての人々に感謝申し上げます。どうもありがとう。
それでは引き続き「魁の陋屋」をお楽しみ下さい。

〜漂えど沈まず〜

「魁」

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2003.1.1

「新年のご挨拶」

新年明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。魁の陋屋をスタートしてからもうすぐ3年です。毎度のことですが私が変わらずに歩み続けていられるのはご覧頂いた皆様方の熱いご支援があるからだと強く感じております。昨年は厄年でした。それも大厄とあっては何も起きぬはずがありません。体調不良に始まり慢心創痍が口癖になるまで身体のそこかしこにガタが来ました。それでも縛りたいと云う執念めいたものがありまして何とか乗り切ることができました。普段は決して褒め讃えることは無いのですが、サイト上に掲載された女性の多大な協力がありました。またこのサイトを影でしっかりと支えてくれる女性もおりました。そして絶大なるご支援を頂いた方々も数多くいらっしゃいました。これら全ての方々に心より感謝を申し上げます。どうもありがとう。

さあ今年は後厄と云うことになります。これも何とかして乗り切らねばなりません。それにはやはり縛って責める以外に道はなく、それだけを生甲斐に今年も貫き通す考えです。

一度決めたら変えるのが嫌い、うつろい流れる時代に生きる己の人生において一つぐらいは決して変えないものがあっても良いと云うのが信念です。緩やかに流れながらも決して沈まぬ思いを込めて今後も魁の陋屋を進めて参ります。
それでは皆様、今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

〜漂えど沈まず〜

「魁」

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2002.8.24

「ぱんだ」と云う男

「岡山SM倶楽部」および「ぱんだのSMはうす」 主宰ぱんださんは岡山に住んでいる。先日、そこで教室を開催した。
ぱんだは白に黒と云う印象が強いが岡山のぱんだは褐色だった。
褐色と云っても日焼けサロンの褐色とは照りが違う。そんじょそこいらの褐色ではない。長年炙った照り具合だ。
まあインドアタイプの人間と云うよりアウトドアタイプの風貌である。
彼は屈託がなく飾りのない男だ。
発する言葉は明瞭だがどことなくあっけらかんとした雰囲気の人である。
そんな彼を慕う者は多い。
若い人々にとっては良きオヤジと云った方が良いだろうか。
話す言葉もジェスチャーも人を和ませる。この人は本当に変態なのだろうかと思う。
変態はビシッと決めて無機質な人が多いように思われがちだが実はそうではない。極めて明るい者が多い。じっとりと暗くねっとりとした眼差しの者に真摯な変態さんはまずいない。
しかし彼の場合は良〜く話し込むと間違いなく筋金入りの変態さんだ。
ご本人が変態だから彼の周りにも変態の七福神のような方々が必然的に集まってくる。云い方を変えれば真摯な変態さん以外は近寄りがたいのかも知れない。
今回お会いした時、ズボンが合わないのか尻を押さえながら
「ズボンが下がるなぁ・・」と呟いて無頓着にほこほこと歩いていた。
それがとても印象的だった。女にとって男の無頓着はどこか可愛げに見えるはずだ。
そうだ、褐色のトトロとでも云うべきか!
まあ、とにかくそれらを総称してぱんだと呼ばれているのだろう。
彼は一見、酒豪に見えるのだがその実、下戸である。
彼の愛飲は何とコーヒー牛乳だ。驚く事に1日に3パックも飲み干す。
そんなに飲んでは体に毒ではないかと諭すが体に全く異常はないと真顔で云う。なぜならば粗食だからだそうだ・・・・
とても信じられない。だが太っている。
彼は最初に縛りを見せて欲しいと云ってきた。結果、岡山に出向いて私の縛りをお見せしたが彼はあまり注意深く見ている様子はない。
適当に見るとすぐに別の部屋に引っ込んで横になったりごろごろしたりコーヒー牛乳を飲んだりしている。
と言って縛りにはあんまり興味はないのかと云えばそうでもない。
見るところはしっかり見ている。後で投稿して頂く画像を見ると「な〜んだ。ちゃんと見てるじゃねーか!」と驚かされる。
この点では曲者と云える。
彼の周りには女性がまとわりつくように居ていつも和やかである。
かと云って女をはべらせていると云う感じはしない。
少なくとも親しみ深さは並の人間では敵わないだろう。人間愛を感じる。
ごろごろしている。笑っている。喋っている。コーヒー牛乳を飲んでいる。
この男は私にはそんな部分しか見せようとはしない。
そんな部分しか見せようとしないが私のことはしっかりと見ているようだ。
岡山のぱんだは竹は食わず、かと云って女を食うわけでもない。
極めて深みのある舌先でコーヒー牛乳の味を確かめながら周囲の空気を和ませる思慮深い人間だ。
本日、ぱんださんから「そうめん」と「うどん」が宅急便で届いた。
それは驚くほどの量であった。これは私が美味いから送って欲しいとおねだりをしたものだ。ずっしりと重いそうめんの箱を空け3束を茹で一気に胃袋に流し込むと「ふう〜っ」と一息ついて私もごろごろとして遠い岡山での出来事を思い出した。
何を隠そう私は白熊だ。

「魁」

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2002.7.23

「被縛女」

被縛女画像にはこれまで数多くの女性に登場頂いた。
縛られる女がいて初めて「魁の陋屋」が存続し私が存在する。
私は縛るのが好きなので当然、縛られることが好きな女性でなければ絵にならないのだが、私の場合過酷な縛りが多いため縛る途中で女性が音を上げることもしばしばである。そんな時、面白いのは大半の女性は悔しがる。中には落ち込む者や涙を流して耐えきれなかったことを悔やむ者もいる。
私に対して申し訳無く思い、耐えられなかった自分が歯がゆいのだろう。
入念に縄を掛けていき、途中で限界を察知すると躊躇することなく縄を解くこととなるが、縄を解かれて地に足が着き、手足が自由になるとまるで食べ掛けの食事を下げられたような顔で地団駄を踏むのだ。
縛りは不成功に終わり撮影も出来ぬまま終わるのだが、実はこの瞬間はこの瞬間で心地の良いものだ。女が可愛く思えて仕方がない。
一方、私の方の不手際やイメージ通りの縛りができずに途中で断念する時もある。
そんな時は女性もその事に気付き、心配そうに私を見つめたり優しい声を掛けてくれる者もいる。きっと私の顔に「不満足」と書いてあるのだろう(笑)。
被縛女は心根の優しい者達ばかりである。「魁の陋屋」の画像をご覧頂いて「美しい」と云ってくださる方々がいる。なぜ美しいか。それはきっと被縛女の心が写っているからだろう。

「魁」

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2002.7.10

「性癖と疲労」

ワールドカップが日本を盛り上げた。私も例外ではなく毎日が興奮の連続であった。
次元は違うが興味深いデータとしては魁の陋屋への訪問者の数は変わらなかったことだ。
これはどう云う事なのか。一般的に考えるにこのような一大イベントが行われる時は例外無くアクセス数は激減するものなのだが平均ペースで推移した。
人間は一喜一憂する度に何かしらの疲れを感じる。心地よい疲労感や淀んだようなやるせない疲れなど様々だが必ず疲労やストレスはある。
SMは疲労に比例するように思われる。疲労している時の方がその気が起きる。
元気一杯、溌剌とした毎日にはあまり感じない欲情を疲労時やストレスが蓄積している時に感じる。
余談だが昔、博打や競馬で大負けすると無性に女が縛りたくなったものだ。
これが何処からくるのか分からないのだが、破れかぶれが私のS性に火をつけていた。
これは私だけの性癖かもしれないのだが、そのような時が必ずあった。
では勝った時はと云うと大勝した時はやはりスリルと興奮を覚えているためにまたしてもS性は首をもたげた。しかしボチボチ(まあまあ)と云う時は全くそれら性癖は顔を覗かせないのであった。
果たして私に共感する方がいるかどうかは分からないが、心身の疲労と性癖は何かしらの因果関係があるのではなかろうか。
日本でのワールドカップは幕を閉じた。それぞれに思いはあろうが成功を収めたのではなかろうか。日本の旗を振って日本チームを応援する老若男女が一塊になった時ではなかったろうか。「サッカーなんて興味無し!絶対見ない。」と云う者や「日本人は流されやすい。」とお嘆きの方も居て良いが、とても有意義な時ではなかったかと感じている。
次回はドイツ開催、果たして日本は予選突破なるか。是非とも突破して欲しいものだ。昔の人は「今の若いもんは・・・」と云ったものだが、今はそうばかりは云っていられない。
「今の若いもんは大したもんだ。」
「20代が日本を揺さぶった。」
今回の雑記は題名の割には中身が薄い(笑)。

「魁」

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2002.6.16

「おかげさまで2000000アクセス

光陰矢の如し。放たれた矢は約2年と3ヶ月経った現在も飛びつづけております。落ちつく先は私にもわかりません。
「魁の陋屋」スタートから今まで約800日で1日当り2000人以上の方が見に来られているようです。
当初から考えますと飛躍的と云って良いアクセス数となりました。
これも一重にご覧頂いている皆さん、リンクをしてくださる皆さん、投稿を頂く皆さんのお蔭と感謝しております。
いつも申し上げておりますが「魁の陋屋」は今までと変わることなく進めます。
自分なりに精進し縛りと責めをこれからも送り続けます。
どうかこんなサイトを今後も暖かく好奇な視線で見守って頂ければ幸いです。
狭くてむさ苦しい「魁の陋屋」を今後とも宜しくお願い申し上げます。
従来ですとこれ以下に綾の言葉が添えられますが今回はありません。
時折、皆さんから綾さんは元気なのかと云うお問い合わせがあります。
綾は現在、結婚して外国で暮らしております。
結婚してもなぜか私との関係は全く変わることなく継続しています。
(この世界は一般的な物差しでは計れないものかも知れません。)
そして綾は闘病中でもあります。と云っても大事に至るような病気ではありません。今後時折チャットなどにも現れる事でしょうが、今は安静にしていなくてはならない時期ですので敢えてお礼の言葉は書かせておりません。
何卒ご理解くださいますようお願い申し上げます。

「魁」

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2002.3.26

「ご投稿画像」

「魁の陋屋」をスタートしてから2年以上経ちますが、その間に投稿を頂いた方々は50人を越え、画像にして900枚以上になりました。そして未だに沢山の方々から秘密の画像を頂戴しています。一部諸事情により掲載を外された方もいらっしゃいますが、その方々も含めまして心より感謝致します。どうもありがとうございます。
スタート当初、果たして投稿画像と云うコンテンツが上手く行くのかどうか不安もありましたが今はやって良かったと感じています。
画像はメールにて頂くことが多いのですがメール受信に時間を要する時、心踊るような興奮を覚えるものです。
「お!?投稿画像かな・・・誰だろう?どんな画像だろう・・」
このワクワクするようなスケベ感覚はサイト運営者なら一度は味わう興奮ではないでしょうか。送られてきた画像を注意深く観察した後、モザイク作業に入るのですが鼻血こそ出ませんが悶々とした頭をスッキリさせてからじゃないと先に進めない時があります。
「これぞサイト管理者冥利に尽きるじゃねぇか!やめられねぇぜ!!・・・・ッ・・」
余りに画像が罪深くも股間に直撃するものであったりすると自らの介抱に体力を使い果たして寝てしまう時もあります(笑)。
自分が撮ったものを載せるのも楽しいですが頂いた画像を掲載するのも良いものです。私の場合、拙いコメントなどを添えさせて頂いていますが、これは僅かばかりの感謝の記しです。正直申し上げましてコメントやキャプションが浮かばない時もあります。たった1行に数時間考え込む時もあります。送られてきた画像の迫力に何の言葉も浮かばない時があるのです。そうこうしているうちに掲載を忘れてしまったと云う事もあります(^^;;;。それに懲りず何度も投稿して下さる方もいらっしゃいます。
本当に有り難いことだと感じています。私はこれらの方々に支えられています。
魁の陋屋は私の大切なサイトです。しかしそれを飾って下さる投稿者さんのものでもあります。どうもありがとう。
これからもご投稿画像のコーナーは続けて参ります。新たなご投稿、更なるご投稿を心よりお待ち申し上げます。

「魁」

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2002.2.20

「2周年のご挨拶」

今日で「魁の陋屋」は2周年を迎えました。
とても早い2年間でした。私が急いだのか、はたまた時が走ったのか分かりませんが、本当に一瞬でした。
思い起こせばさまざまな出会いがありましたが今もって別れはありません(笑)。これは何度も申し上げていますが、このサイトが続いているのはご覧いただいている皆様のおかげだと心よりそう思い、改めて深く感謝の念を抱いております。どうもありがとうございます。
今では沢山の方々に支えられているこのサイトは当初、不安の幕開けでした。義兄弟であるtailorさんからすすめられてサイトを立ち上げたものの、何をどうやって良いのか分からず、取りあえず力任せに進めて行きました。当初の文章など読み返すとかなり力が入っていて恥ずかしいなぁと思うのすが、私の過去であることに変わりはありません。今ではすっかり肩の力も抜け、ついでに顔も身体もすっかり緩み始めております。ただ縛りに関してはいつも答えのない解を追い求めてを漂いつづけています。
そして今後も魁の陋屋は何も変えようとは思っていません。今までと変わらずマイペースで地道に進めて行きます。魁の陋屋は私に残された大切な喜びです。どうか今後とも「魁の陋屋」を宜しくお願い申し上げます。

〜漂えど沈まず〜
「怪」「悔」「会」「回」「廻」「快」「開」「解」・・・「魁」

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2002.1.1

「新年のご挨拶」

新年明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。魁の陋屋をスタートしてからもうすぐ2年になろうとしているわけですが、今も変わらずに歩み続けていられるのはご覧頂いた皆様方の暖かい声があるからだと強く感じております。
昨年は綾不在の中、多数の方々からご心配とご声援を頂きました。また沢山の女性を縛る機会がありました。縛りが好きな私にとってこれほど充実した1年はなかったと思っております。今、全ての方々に心から御礼申し上げます。
さて今年1年も相変わらず粛々と続けて行こうかと考えております。私は変える事が苦手です。一度決めたら変えるのが嫌いです。うつろい流れる時代に生きる己の人生において一つぐらいは決して変えないものがあっても良いかと思っております。緩やかに流れながらも決して沈まぬ思いを込めて今後も魁の陋屋を進めて参ります。
さて近いうちに皆様にご報告しなければならない事があります。今は訳あってお話する事ができませんが、準備が整い次第必ずこの場において発表させて頂きます。
それでは皆様、今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

「魁」

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2001.12.6

「縄師」

縄の使い手、縛る事に精通している人のことを縄師と呼ぶ。私も最近、縄師と呼ばれることがある。私は縛りを生業にしている玄人のことをそう呼ぶと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。まあ、そんなことはどうでもよいが、SMと云う枠組みの中で師とつくものは縄師と責め師ぐらいである。私は最近になって、縄師があるのなら鞭師とか蝋燭師、浣腸師があっても良いと思った。浣腸師では格好がつかないのだろうか。SMと云う枠組みの中ではそんな師があっても面白い。云いかえれば縄師とは聞こえが良いが全て平等にした方が良いなあと感じている。縛りは知っていても蝋燭や鞭、浣腸など知らない事が多い。何事も知っていて損はない。皆も知りたがっていることが実に多いのではないだろうか。縄師は格好が良い。浣腸師は格好が悪い。そんなことはない。どちらも大して変わらないはずだ。
SMには愛が必要だと云う。精神が第一だと云う。私は精神、もしくは愛以上にテクニックが必要だと感じている。SMはそれなりに危険を伴う行為である。その危険性と安全性を熟知して初めて楽しめる行為であると思うし、その上に精神が育ってくるものだと思う。SM愛好者よ。テクニックを盗め!(笑)

「魁」

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2001.11.23

「芸術」

人から芸術的な縛りだと云われると戸惑いはするものの嬉しいものだ。
しかし、私の縛りは芸術の域に達しているとは思っていない。芸術とは何だ。美とは何だ。縛りはそれほどのものではない。少なくとも今は違う。美は意識するし美的センスはある程度要求されるが歴史が浅い。歴史とは私自身の歴史のことである。芸術とは未だにハッキリと理解できていないが、そう云うには長い年月が必要だと思う。一朝一夕にはなし得ない長い年月が。
そしてそれは本人の意図するところを越えて成る。昔の浮世絵や春画などは現代に至っては本屋の美術・芸術のコーナーに並べてある。しかも高級本として売られている。
当時、芸術だと意識してあの絵を描いた者が何人いただろう。エロはいつの時代でもエロとして世の悩める男性諸氏を慰めるためのものであったはずだ。また絵描きはそれを飯の種にしていたに過ぎない。
確かに自分の特技を芸術として名乗りをあげるのは人の勝手だ。しかし芸術はそんなに浅いものではない。尚且つ時代と云う波に揉まれ、風に晒され、一旦眠りにつき、ある日掘り起こされるもののような気がする。一度は封印され風化されないとこの手のものはいけないような気がする。
今後、私は私が生きてきた証として縛りの画像や写真を残していきたいと考えている。私は変態だから変態画像として残していこうと思っている。現在その準備を少しずつ進めている。これからも沢山の女を縛っていきたい。
ただここでひとつ気になることがある。
私が死んで100年、200年してから私の子孫が「お前の爺さんは変態爺さん」といじめられなければ良いのだが。。。
孫子の代まで恨まれたくはない。墓石の下で寒くもないのにクシャミなどはしたくない。

「魁」

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2001.11.16

「モザイク」

この手のサイトに掲載される画像はモザイクや目線が施される。
その目的はモデルとなる女の素性を隠すためでもあり、陰部を隠すためにも使われる。私も皆様から送られてくるご投稿画像や自分で撮影した生の画像をせっせと処理して掲載するわけだが、この作業は想像以上に神経を使い、また疲労する作業であった。
最近、面白いことに気がついた。なぜかモザイクや目線を入れた画像の方が興奮するのだ。この症状はいったい何なのか。決してモデルの顔が悪いとかそう云う事ではないのだ。日本人は昔から秘すれば花と云ってきたが、それに近いものがあるように思う。他のサイトを拝見してしていて思わず目線やモザイクを掻き毟りたくなる。
昔、ビニ本を買ってきて陰部にマジックインクやヤスリが掛かったような絵を透かしてみたり、シンナーを使ってインクを落として、その下が更にヤスリで削られているとガックリと肩を落としたものだ。女には決して理解できまい。
そこまでして見たいのかと女は云った。
見たいねと私は云った。
見てどうするのと女は聞いた。
私の見ればいいじゃないと女は云った。
私はむっとして雑誌を擦り続けた。
女は呆れて帰っていった。
モザイクや目線は男を猿に変える。それは生を見たいと云う欲求だけではない何かがある。運良く女のアソコが拝められるとやっと満足できる。と云ってそれは溌剌とした満足感ではない。女が吐き捨てるように云った言葉が虚しく残る。
やっと落ちついた私は女の家に行き、無理矢理スカートの裾をめくり上げてアソコを拝むこととする。
しかし、いきなり見るのではない。白い下着の上から透かすように見たり、引っ張り上げて食い込ませたりして少しずつ露にしていく。
私はお前のアソコが見たいのではない。アソコをみる苦労が好きなのだ。
モザイクはもどかしい。もどかしいから見たくなる。
見たいと云う欲求はいつしか見るための涙ぐましい努力に心奪われていく。
モザイクは良いもんだ。(笑)

「魁」

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2001.10.28

「自己主張」

〜 ★さんへ贈る 〜

S男だろうがM女であろうが必ず自己主張がある。奴隷だから主張など認められないと云ってもそれは無理がある。従える者も従う者も生きている証が欲しい。そしてそれは主従関係以外のところで起きる。自分がこの世に生きていることを知って欲しいと云う人間本来の欲求が生まれる。心のどこかで賛同者を求めている。
日本にも数多のSMサイトがあるが、自分も含めて何らかの自己主張の現れであると感じている。
不思議な事だが男性はS嗜好、女性はM嗜好の場合が多いようだ。
逆は少ない。S女性とM男性は少ない。
それはなぜなのだろうか。
人は充足すると眠りにつくものだと思う。留まるものだと思う。しかしこうやって突き進めるには何かがあるはずだ。今が不安なのか。それとも今の自分に「生きていると云う何らかの理由」が必要なのだろうか。表の自分に不満があるのだろうか。
私はこの淫靡な嗜好だけに逃げてはならないと悟っている。この世界だけに浸ってはいられない。現実と云う「背に腹変えらない世界」があり、その上に立ってこの世界を隠れながら愛しんでいる。それを忘れてはならないのだ。当たり前だがその考えが大事だ。その平衡感覚を失った者の結末はマゾヒスティックな気分に浸れないほどに悲惨なことになる。
人の充足感は複雑なようでいて単純だ。しかし単純に生きることほど難しいものはない。
日々、迷いながらも少しずつ己を修正して生きていく。それで良いのだ。
昨日と今日の自分は少し違う。

「魁」

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2001.9.24

「秘密」

人の口に扉は立てられない。
この世界は内緒が多い。大前提が内緒なようなものだ。しかし秘密は何処からかいつか漏れる。それはどうしてなのか。人は一つの関係が終わると内緒事もまた同時に終わったと錯覚する。そうして新しい出会いがあるとその人に過去の洗い浚いを打ち明けてしまう。出会いは全てを受け入れようと、また全てを曝け出そうとする傾向が強いようである。しかし、内緒や秘密は本来永遠のものだ。自分が死ぬまで打ち明けてはならないものなのだ。もし、これが出来ないのなら内緒事はしない方が懸命だろう。この世界は秘密が多い。秘密はあくまで秘密。どこまでも秘密なのだ。
それを肝に命じるべきではなかろうか。
一方、秘密を打ち明ける方は、例え秘密が漏れても漏らした相手を恨んではならない。漏れた話には尾ひれがつく。真実とはおおよそ違う捻じ曲げられたものとなり、それが噂となる。しかしそれは秘密を打ち明けた自分が悪いのだ。
人の口に扉は立てられない。

「魁」

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2001.9.16

「変態さんと変質者の違い」

以前から申し上げているが、変態と変質は似て非なるものだ。
@変態さんは他人に迷惑を掛けない。
Aプレイする当人同士は合意の上で楽しむ。
B変態さんは未成年者をこのような場に出してはいけない。
C変態さんは子供を自らの性の犠牲にしてはならない。
先日の犯人には、教師、ビデオマニア、手錠マニアだそうである。私は教師でこそ無いがビデオは腐るほど観た。(現在は飽きてしまって観ていない。)手錠は好まないが縛るのは大好きである。縄マニアである。しかし、妄想を域を脱する時、それが犯罪に繋がるのかどうかの区別ぐらいはつく。少なくとも上記4つのタブーを守らなくてはならない。嘆かわしい事件は迷惑な話である。こちとら真摯に変態やっている。モラルとコモンセンスが重要な世界なのだ。

「魁」

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2001.9.8

「おかげさまで1000000アクセス」

「魁の陋屋」が正式にスタートしたのが2000年の2月20日です。今日が2001年の9月8日ですから536日目と云うことになります。そして昨晩、1000000アクセスとなりました。勿論、私自身のアクセスも入ってはいるのですが、1日1000人以上の変態さんからアクセスがあったと云う事は実に感慨深いものがあります。当初私は人妻牝肉奴隷「華穂璃」の告白の主宰tailorさん(現、義兄弟)のお力のもと、このサイトを立ち上げました。以降今日まで何とか持続する事ができました。それは一重にご覧頂いた皆様や縛責教室で出会った方々のバックアップがあったからだと思っております。やはり一区切りは嬉しいものです。お一人お一人にお礼を申し上げたい気持ちで一杯です。しかし、膨大な数のメールでとても返すことができません。この場を借りて改めて御礼を申し上げます。
「魁の陋屋」はスタート当初からスタンスを変えておりません。そして今後も変えるつもりはございません。自分なりに精進し縛りと責めをこれからも送り続けます。
ご覧頂く皆様におかれましては、どうか暖かく見守って頂き、これまで通りのお付合い、ご指導、ご鞭撻を賜れば幸いです。
狭くてむさ苦しい「魁の陋屋」を今後とも宜しくお願い申し上げます。

「魁」

「魁の陋屋」100万アクセスにあたって」

この度は、お蔭様で、念願の100万アクセスを達成致しました。
これもひとえに、この「魁の陋屋」をご助力、ご支援し続けてくださる皆様のおかげだと、ただただ、感謝の気持ちで一杯です。
ご投稿をはじめ、チャット、掲示板、リンクをはって頂いている数々のホームページ、そして数回に渡り皆様のご協力の上に開催させていただいております「縛責教室」を通じ、このホームページが立ち上がるまでには想像もつかなかった沢山の出会いがありました。
このような形で、ご主人様のお手伝いをさせていただく事で、綾自身にもかけがえの無い宝物が沢山できました。また、沢山の皆様から、ご支持を頂きながら、この記念すべき一区切りを迎える事が出来た、という事も、また一つの「心の支え」として、綾の心のなかに大きく刻まれました。皆様に、心よりお礼申し上げます。
一区切りを迎えたという事は、また新たな一区切りに向けての出発点を歩き出した、ということだと綾自身考えております。また、この次の目標を達成するまでにはたくさん、泣いたり、戸惑ったり、苦悩したり。。。そして、喜んだり。必ずあるかとは思います。
でも、それは、綾自身が成長していく上では、必要不可欠な事なのだろう、そして、それは精進する事で、乗り越えていける事なのだろうと考えております。それらを乗り越える上で、今までもそうであったように、ご主人様の存在、そして、ご声援くださる皆様、そして綾の心の中に存在する宝物の数々を支えとして、前向きに進んで行く事ができると考えております。
そして、少しずつでも成長する事で、この皆様に対する感謝の気持ちをお伝え、そしてお返しする事が出来るならば、幸いかと思います。
この場を借りてではありますが、皆様お一人お一人への感謝の意をお伝えできればと思います。また、今後とも、変わらぬご支援、ご助力、そしてご指導をいただけますよう、心からお願い申し上げます。

「綾」

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2001.8.28

「躾」

今日は躾について。と云ってもSM的躾ではなく子供の躾について。このような変態の私にも子供がいる。しかも2人も作ってしまった。これは取り返しのつかない罪を犯してしまったと時々後悔する。しかし子供は手放しに可愛いものだ。この可愛い子供達がいつかは私にタメ口をきき、反抗的態度をとるのかと思うとゾクゾクする。
楽しみである。昨今、暴力と躾の境界線が見えないことが多くなってきたが、我々が幼少の頃はどうであったろうか。皆大抵(特に男)は親に引っ叩かれて育ったのではなかろうか。そこに愛情があったか否かはその時は判断できず、箒を持って追いかける母から逃げ回ったり、父の大切にしている釣り竿を持ち出し折ってしまってぶん殴られた時もある。それは当然だ。自分の大切にしていた手作りの宝物を壊されて頭に血が上らない者などいないのである。しかし親とはそれだけではないのだ。
箒を持って追いかけもするが、病気になると寝ずに看病もするのである。怒り狂ってぶん殴りもするが疲れた身体を圧してキャッチボールにも付き合うし、寝つけずに夜泣きする子を明け方までおんぶして町を歩くこともするのだ。子供を躾ようとする時、手を上げるのを良いとは思わない。しかしそうせざるを得ない時もある。それは怒りが先行する場合もある。しかし問題はそれ以上に子供を可愛がることができるかどうかだと思うのである。大切だと思えるかどうかである。叱って褒める、手を上げても抱きしめる。親とは圧倒的に強く子供にとって脅威であり、限りなく暖かいものでなければならない。そこには言葉以上のものが大きく存在している。道は説くものではない。感じさせるものだと思う。
体罰に関して云えば、その力加減は重要である。私などは幼い頃毎日のようにポカスカやられていたように思うが一度も怪我などしたことがない。それはなぜか。私の親は常に子供の体に触れていた。相撲をとったりキャッチボールをしたり、休みの日には釣りに出かけたりして子供の体力や体の出来ていない部分が良くわかっていたように思う。怒鳴られる声は恐ろしかったが痛みはそうでもなかった。
そして最後に大切なこと。子供が今、何を考えているか、何がしたいのかあなたには解るだろうか。私は子供の顔を一目見ただけで解る。帰宅した私に声を掛けるその第一声で何かの異常があったことが解る。声は掛けなくてもすれ違った速度と空気で何かがあったと悟る。
人間は必ず自分の危機や問題に対してシグナルを出す。子供は特に必ず出す。
親はそれを見逃さないことである。また子供は嘘をつく。それもすぐに解る。解るが放っておく。嘘は見破っても叱ってはいけない。嘘をつくには必ず理由がある。嘘を責めるより、なぜ嘘をつかなければならなかったかが重要なことである。子供は嘘をついた瞬間から罪の意識に苛まれる。それで十分なのだ。親が表面化して責めることなど必要ない。ある日、私は子供が情けない点数のテストを隠して大量に捨てているのを発見した。そして点数の良いものばかり持ってくる。私は子供に言った。「良い点数のものだけ持って来い。悪い点数だったら見せる必要などない。忘れてしまえ。先生に見せるようにと言われてるって?見せたと言っておけ(笑)」。。
それ以来なぜか悪い点数のテストも平気で放ってある(苦笑)。しかし、点数は徐々に良くなっているようだ。子供には大人以上のプライドがあると感じた。私はいつも子供に云うことがある。それは「例え悪友であろうとも告げ口はするな。」である。それさえ守って行ければ善人でも悪人でも良いと私は思っている。
これら子供の躾と称して書いたが、この世界にも充分に通じるものではあるまいか。私の云うことが正しいと言うのでは決してない。私は強くそう感じていると云うことだ。

「魁」

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2001.8.5

「Intelligence」

SMには知性があるか。先日ある恩人に私の嗜好を全てオープンにしようかと言ってみ たところ、それは周りを不幸にするので止めた方が良いと言われた。表裏の世界を生きていることに面倒臭さがあったためだが彼曰く「エロティックインテリジェンスは誰も理解しないだろう。」と言う。
それは何だと尋ねるとエロティックなものを創造するにはエネルギーが必要でそれは知性が必要なのだと云う。と云う事は私は知性が溢れていると云うことかと詰め寄ると彼は笑った。彼が笑うので私も笑った。
ところで知性とは何なのか。辞書によると物事の理屈がすぐ理解できる能力とあった。皆さんはインテリジェンスが理解できますでしょうか。

「魁」

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2001.5.6

「小さな死」

女には小さな死があるという。
お前は毎夜、小さな死にむかい慰める。
触れる、なでる、つまむ、こする、まさぐる、かきむしる。
お前の深淵はそれに応え静かに湿る。
艶のある赤い密腺からとめどもなく湧きだして
いよいよ満水になれば緩やかな丘の叢林もしとどに濡らす。
声をくもらせ、泣きながら、鳴きながら。
やがてお前の望みのものは、音もなく大きな波となって押し寄せる。
暖かな悪寒に包まれて毛穴が開くと
波はお前を浚う。
あるものすべてが速度のない速さで投げ出されていく。
今は消し去られ、明けることなどない。
誰もいない、お前だけの清浄と空無。
お前は薄暗くなる視界の向こうに揺らぐ炎の幻を見つける。
凝視できないその薄紅色の幻はお前の波打つ肌から
少しづづ熱を奪っていく。
やがてそれは青いひかりにかわり、お前の身体は亡骸となって
晦冥の淵へとゆっくりと沈んでいく。
眠れ。愛奴よ。

「魁」

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2001.4.22

「言葉の意味」

SMと云う語彙は言わずもかなであるが、本当に短絡的な言葉だなあと感じる。現在はITが大流行だが、この言葉は恐らく5年と持たないだろう。SMと云う略称は、世の中新しい言葉が生まれては死んでいく中で全く微動だにせずに君臨しているのだから、あながち外れてはいないのだろうか。
それとも誰も明確な名称をつけられないからであろうか。そう言えば不明確なものの象徴のUFOも私がガキの頃からずっと変わっていない(笑)。性を分類すると切りが無い。境目を見出すのは楽しいが難しい。どうもしっくりこないこのSMと云う言葉、どうにか良い表現はないものだろうか。そこはかとなくそして味のある永遠の表現が。。。(笑)
もうひとつ「女王様」と云う言葉も何とも浅はかだ。何で女王様なんだろう?
女も男も主人で良いと思ったりする。女が女王様なら男は王様と云うことになる。。。それはおかしい。的外れもはなはだしい。仮に私が裸でプレイしたら「裸の王様」だ。ああ、ヤダねったらヤダねぇ。。(世のS女性の方独り言です。。。ご容赦を(^^;;;)
酒を飲みながら下らないことを考えてみました。(爆)

「魁」

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2001.3.14

「まだまだ」

SMは究極の愛となり得るか。SMとは男女の嗜好表現のひとつだと思っている。しかしこれが最高だとは思っていない。単なる表現方法のひとつだと思っている。SMは奥が深いと云うが果たしてそうだろうか。どこが奥深いのだろう。深いのは男女が互いを求め合いながらも完全に一体となることがないと云う溝ではあるまいか。求めるとは手に入れていないからで自分の手の中に納まると求心力は衰えるものだ。きっと求めても求めても手中にできない深い溝が男女の間にはあるに違いない。以前にも申し上げたが、私は自分が不器用に見えて仕方がない。浅く見えて仕方がない。なぜ縛らなくてはならぬのか、なぜ責めなくてはならぬのか。人に理解され難いところで楽しんでいることでSMが最上の性表現であると云う傲慢な考えに陥ってはいまいか。他の表現もそれぞれに素晴らしいのであり決して傲慢な考えに陥ってはならないと思うのである。また、SMと云う行為自体どこかしら後ろめたさがあった方がより楽しめると感じる。決して大手を振ってSM最高とは云わぬ方が自分の心をくすぐるようだ。これも人間の弱さの現われかも知れないが、私の場合それはそれで仕方がない。分かっていることはもう後戻りはできないということ。まだまだ勉強が足りないのかも知れない。

「魁」

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2001.2.20

「1周年のご挨拶」

いつも「魁の陋屋」をご覧頂きましてありがとうございます。本日で目出度く1周年を迎える事ができました。3日坊主の私が、まさか1年も続けられるとは思っていませんでした。更新も毎日を基本としてやってきましたが、どうしても本業がある手前、侭ならぬ時もあり後日追いかける事もありましたが何とか本日を迎える事ができました。1年を振り返ると様々な出来事があり、また沢山の方々と知り合う事ができました。この1年、私にとって大きな転機となりました。また、綾も人生においての転機をはかり現在は外国で修行の身です(笑)。私達にこのような機会を与え、また応援して下さった方々に心から御礼申し上げます。来春には帰国致しますので、それから復活させる予定です。綾からもメッセージが送られてきましたのでご覧下さい。それでは今後とも宜しくお願い申し上げます。 近日中に縛りのサイトJ-Bondage.comを本サイトで正式発表いたします。会員制となりますが縛り以外は一切排除した作りになっておりますので縛りがお好きな方はどうかご覧下さい。勿論、魁の陋屋も引き続き更新していきます。益々眠れぬ日が続きそうです。乞うご期待(笑)!

「魁」

「魁の陋屋」一周年にあたり

平素より「魁の陋屋」ご愛顧頂き有難うございます。また、ネットを通し、いつも皆様にご声援頂いている事、誠に有難く感じております。 お蔭様でこのホームページ「魁の陋屋」も一周年を迎える事が出来ました。
皆様のご助力、ご声援の御陰と感謝しております。 今思うと、この一年、綾にとって長くも短くも感じました。息が上がりながらも、なんとかご主人様について行こうと、そして一人でも多くの方にこのホームページを楽しんで頂ければ、という思いでこの一年を過ごして参りました。 今、このホームページが立ち上がった時と全く違う状況の中で綾は生活しております。
でも、気持ちはあの時のまま、何も変わらずにいたいと思っております。
日々ぶつかる様々な物事に真剣に向き合う事は、綾自身の血や肉となると信じ、日々を過ごしております。世界は狭くなったとは言いますが、昼夜が逆になり、電話の声のずれ、時差から距離を感じ、寂しさを覚える事もしばしば。でも、その中で、最近何よりも有難いと感じる事は、帰りたいと思う場所がある事、そして寂しいと思える事がある事です。そして「帰国したら。。。」とおっしゃって下さる皆様方がいて下さるという事です。時折襲ってくる寂しさも、そのように考えれば必ず乗り越えられると信じています。今、綾の心の支えとなって下さっている皆様に、大変感謝しております。今後、少し ずつではありますが、皆様に綾の成長ぶりも楽しんでいただける様、精進して参りたいと思います。これからも変わらぬご支援をいただける様お願いしますと共に、皆様のご健康、ご多幸をお祈り致します。そして、この「魁の陋屋」を通じ、沢山の実りある出会いが皆様にもあります様、心から祈っております。
2001年2月20日

「綾」

ほ〜。私より立派な文章だ。。

「魁」

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2001.2.6

「変態はイケテル」

変態は身も心も荒廃しているように思われる。確かにその部分だけを取ればそうに違いない。なんせ女を縛って苛めるのであるからそう思われて当然である。狂った世界である。ただし変態と変質とは一線を画して考えたい。変態と変質の定義は変態になれば良く分かる。変態じゃなければ良くわからないかも知れない。アブナイ世界を愉しむ人はアブナイ世界と知っていて愉しむ。「アブナイなぁ」と自分で思いつつ愉しむ。そこには節度があるのだ。しかしアブナイ世界をアブナイと気がつかずに愉しむ人もいる。その人は本当に危ない。変態から危ない人だと思われた人はもうタイヘンだ。
それと変態さんは不思議なことに皆、似たような境界線を引いている。二人の中の限界と社会を生きる者としての限界をわきまえている。アブナイことはするが、危ねえ真似はしねえんだ。そして変態さんは前向きでなくてはイケナイ。イケナイことをする以上はイケテルこともしなくてはならない。イケテナイことばかりする人は本当にイケナイ。変態さんは非真面目でありながら常に真面目に生きているのです。
○○さん。。。ま、そういうことだ。。。

「魁」

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2000.12.30

「変態の性格」

今年も後少しで終わろうとしている。どの時代の世紀末にも多かれ少なかれ何らかの荒廃や天変地異が起こってきた。SMと呼ばれるこの廃頽した思考も、世紀末に近づくに連れて特に流行していたようだ。このような思考は特に平和の真っ只中に流行る。悲しい時代には明るい歌が流行り、明るい時代には心を揺さぶるような暗い叫びの歌が大流行する。そうして世の中は益々荒廃、堕落していき、或時をもって一新されるのだ。それが戦争であったり、天変地異であったりする。人間の心は誠に貪欲なもので、明るく楽しいだけでは満足しない。心の何処かでどちらも望んでいるように思う。
さて今年1年、いろいろな場所で沢山の方々と交流を深めた。これほどの人々と出会ったのは、恐らく私がSMに目覚めてから初めてのことだと思う。
実に大勢の嗜好を垣間見た。そんな中でなぜか共通しているところがある。「この人は本物のSだ。」と思われる方々の多くはいくつかの項目で一致しているのだ。それは「几帳面で論理的であり、感情を押し殺していて大変に繊細だ。」と言う事だ。これらいくつかの項目がなぜそうなのかは定かではないが、1年間を通じて、私はそう感じた。また逆にMの方々はどうなのかと言うと「奔放であり、時に感情の起伏が激しく執着心がある。」であった。一見、逆とも思えるその性格には何が隠されているのだろうか。お互いに自分にない物を実は求めているのかも知れない。
21世紀、果たしてどのように世界は変わっていくのであろうか。いづれにしても延命策を何度となく討ち立てて軋む身体を引きずって歩いて行くしかない。そんな中で私はまだまだこの世界に浮遊していたい。

「魁」

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2000.12.25

「クリスマスの別れ」

別れは突然やってくる。それがクリスマスと云う特別な日であっても神は容赦しない。私は子供を連れてマクドナルドに経ち寄り、コーヒーを飲みながら子供達にエネルギー補給をさせていた。きちんとした昼食を食べさたいと思いながら子供の意見に負けてしまった。しかし熱いコーヒーは有りがたくもあった。マクドナルドの2階席は混んでいた。やっと見つけた席の隣では、ガングロの高校生が2人座って何やら怪しい雰囲気である。一人は泣いている。もう一人ももらい泣き寸前のようである。子供達を座らせるにはちょっと問題があるかなぁと思ったが他に空いていない。仕方なくその席につくと子供達はハンバーガーもそっちのけで、二人の顔をチラチラと横目で見ながら困惑した様子。何に困惑しているかは良く分からないが、ガングロに涙は全く似合わない。

ガングロA子:「私ね。だんこんの思いで彼と別れたの。。。グスン(;;)」 
ガングロB子:「へぇ。。そうなんだ。。(・・)」
----- 中略 -----
ガングロA子:「ほんと、だんこんの思いってこの事だよね!(TT)」
ガングロB子:「分かるよ。その気持ちぃ!(;;)」
魁先生:「お、お嬢さん、それを言うなら断腸の思いだよ。。。。」

それにしても「男根の思いか。。」「どんな思いだろう。。。」
でも断腸より断根の方が確かに痛々しい。。。。(腹痛爆)
「子供達よ。断根も断腸も痛いんだよ。。。」

「魁」

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2000.12.17

「その後の綾」

綾が渡米してから半月以上経ちましたが、時折電話がありますので皆さんにご報告申し上げます。綾はまだ自宅に電話がないため、直接連絡はできませんが、時々電話が掛かってきます。電話の様子では元気なようです。
ただ、とても寒いらしく寒がりの彼女はそれだけが辛いようです。湯たんぽでも送ってやろうかと思っていたのですが部屋の中は暖からしくその必要はなさそうです。これから夢の実現のため頑張ってくれる事でしょう。彼女の夢はここでは話すことは出来ませんが。。。まあそのうちメールが届きましたらまた、お知らせ致します。

「魁」

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2000.10.28

「 壮行会のお知らせ」

日頃より「魁の陋屋」をご覧いただきましてありがとうございます。これまで約10ヶ月の間皆様に大変お世話になりました「綾」がこの度仕事の都合で約1年間遠い所へ転勤となりました。つきましては11月24日第三回「縛責教室」の前に、ささやかですが「綾の壮行会」を行いたいと考えておりますので是非ご参加ください。尚、縛責教室とは別に行いたいと考えておりますので「壮行会」だけの参加も可です。費用・場所等は別途お知らせ致します。参加ご希望の方はメールにてお願いします。

「魁」

kai@rouoku.com

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2000.8.21

「 アンケートのお礼」

日頃は「魁の陋屋」にお越し頂きましてありがとうございます。先月から1ヶ月間、皆様にアンケートをお願いしておりました。ちょうど先日でその期間が過ぎましたので、きりの良いところでお礼を申し上げなければと思い、これを書いています。アンケートの目的は「魁の陋屋」の質的向上は勿論、どのような方々が訪問するのだろうかと思い、行いました。実にさまざまな方々が見て下さっているという事が判りました。当初の予想を遥かに超えたアンケート量となり、驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。現在メール受信可能な方々には一人ずつ御礼のメールを書いておりますが、まだまだ追いつきません。お礼のメールが未だに届いていない方々には大変申し訳無く思っています。
しかし、必ず書きますのでご容赦ください。
これらアンケート結果をこれから集計し、数値として公開したします。
これら集計結果をもとに、面白いことを考えていきますので、皆様期待して待っていてください。それではありがとうございました。
引き続きアンケートは募集しますので皆様、どしどし貴重なご意見等お寄せ下さい。

「魁」

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2000.8.3

「縛り方2」

多くの女性を縛ったり、また縛りの絵や写真を見ていると縛りの美しさと云うものがいったい何なのか考えさせられる。美しい女性を美しく縛り上げると美しく見えないのは私は変態だからだろうか(笑)。私はむしろ何処かコンプレックスを持った女性に果敢に挑んだ緊縛の方が圧倒的な美しさを感じる。またさまざまな投稿画像を見ていても奴隷に対して、はやる気持ちを抑えながらも欲望を剥き出しにしたような縛りの画像の方が素敵に見える。そこには作り物ではない臨場感がある。
縛りにはテクニックが必要となる。しかし決してテクニックだけではない。むしろ、それより女に対して如何に情念を燃やした縛りが出来るかだと感じる。

「魁」

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2000.7.22

「縛り方」

縛りにもいろいろある。例えば亀甲縛りと一口に言うがこれもかなりのパターンがあるようです。聞くところによると数百とか・・私などはあまり決まった縛り方はしないので(と言うよりできない。)何がどうなっているのか解らないのですが、要物には形があり、その形を崩し歪めていくうちに新しい形に変化し始めます。そしてある瞬間に完成します。その瞬間を捕まえられた時に何物にも変えがたいような満足感を得られるのです。最近「SMの領域を越えてきている。」と言うご意見が多くなって参りましたが、そもそも領域などあってないようなものだと思っていますので、これが私のSMだと思っています。
しかし、ここに収められた縛りの画像の数々はほぼ縛りに完結しているため他の責めを併用することが困難なものが多いことは事実です。これは反省するべき点だと思っています。
もっと他のプレイに移行できるようなバリエーションを加えて行くことが今後の課題です。ただし縛りも立派な責めの一つで半端なマゾでは耐えられません。脂汗を流して耐える女の姿を見ていると私は興奮するのです。よく「縛りだけで後は何もしないのですか?」と質問を受けるのですがやりたくても出来ないのです。私の縛りをご覧頂いたり、またお手伝いして下さった方々はすでにお分かり頂けると思うのですが、縛りが完成した頃、女もまたギブアップ寸前と言う時が多く、縄を解くとぐったりと倒れこみ身動きできなくなっています。そんな女を見下ろして、「さぁ、これ以上何が欲しいのか?」という問いにまともに返事ができた者は非常に少ないのです。

「魁」

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2000.7.13

「オフ会参加」

先日、東京の某ホテルで行われたオフ会に参加してきた。
ご存知人妻牝肉奴隷「華穂璃」の告白のオフ会です。
私がホームページを開くきっかけとなった方々です。当日tailorさん、華穂璃さんをはじめとした9名の方々がご参加されていました。皆様それぞれに楽しい方々ばかりで私も有意義な時を過ごすことが出来ました。しかし予想通り私の緊縛と撮影大会と相成り(苦笑)。。。
詳しいご報告は被縛女画像と被責女画像でいたします。今度、秋口でもtailorさんの方へもお邪魔することになりました。
しかし変態が1箇所に集まると皆、変態だから皆、普通に見えてきたのは私だけでしょうか?(笑)。とにかく、皆さんありがとうございました。それと華穂璃さん、ぱぐさんはとてもとても可哀想な縛りと責めに耐えてくれました。私は今も罪の意識に苛まれて眠れません。。。(爆)

「大活躍の魁」

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2000.6.30

「不器用な愛」

人によく「器用ですね。」と言われる。要するに縛りがである。
私はなぜに女を縛るのか、時々考えるのだが明確な答えは導き出せない。縛らなくても愛は表現できるものであるし、また縛ったところで心まで縛れるとは限らない。私には腕や手そして指もある。人の抱擁やスキンシップ、愛撫はそれで充分なはずであり、道具は本来要らないものである。邪道であるかもしれない。しかし私には足りない。無性に縛りたいと云う衝動に駆られる自分がいる。縄は私の腕や手に変わり、女に纏わりつく。本当なら抱き尽くせない全てを抱く。そうしなくては充足しない私はきっと不器用なのであろう。然らばこの不器用な表現に付き合う女は相当に器用なのだろうか(笑)。
私はこの不器用な表現を止めない。

「魁」

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2000.6.18

「縛責教室のご報告」

6月17日、都内某ホテルの会場にて第一回「縛責教室」を行いました。参加人数は9名(男性6名、女性3名)。今回は縛りの基本という名目で、主に後ろ手縛りのみを男性全員にお教えしました。最初に何も言わず女性を縛り上げさせ、それから少しづつお教えして行くうちに何時の間にか参加者全員が夢中になって縛りまくっていました。仕舞いには皆が目覚しいほど上達していたと思います。「好きこそものの上手なれ」とはまさにこのことで最後の方は、私など必要ないのではないかと感じるほど縛りの基本的なことを吸収していたのではないでしょうか。
また今回、参加頂いた女性は会場に来るまでかなりの緊張と不安があったことでしょう。しかし、そんな不安も吹き飛ぶほど明るく和やかな雰囲気の中で行えたことが、私としてはとても嬉しく感じました。結果が成功か不成功かは私が判断することではないかも知れませんが、私としては予想以上に皆さんが上達したと思いますので満足しています。ありがとうございました。またお会いしましょう。そして最後にお願いです。。。。
「私より上手くならないでね。。。(爆)」

「魁」

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2000.6.13

「匂いの大切さ」

全てのものには大抵匂いがある。最近SMに欠かせないものは匂いではないかと思うようになってきた。被縛女画像のコーナーでも書き記したが麻縄には独特の匂いがあります。私が麻縄を推奨する理由のひとつにこの匂いがあります。縄酔いもこの匂いからくるのではないかと思うほどです。人間から発する匂いもまた不可思議なものがあります。ある本に書いてありましたが女性の使う香水にはある匂いが欠かせないそうです。その香りを少し加えないと香水は香水にならないとまで云われています。それは何かと言いますと。。。。何とあの「う○こ」の匂いです。何でもスカトーレと云うそうです。(まんまやんけ!(爆))
世にスカトロファンが何人いるか判りませんがこの方々、只者ではないのです。決してバカにしてはいけません。ただ変態なだけなのです。

「魁」

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2000.5.31

「S&Mスナイパー掲載」

ナカヤマさんからメールがあった。「もし宜しければ来月号のSMスナイパーに例の画像掲載したいのですが・・云々」と言う内容であった。例の画像とは去る12月のオフ会での尻打ち画像のことでした。このサイトへも既に掲載しているので構わないと思いYESの返事をしました。ナカヤマさんとはスナイパーでフォトギャラリーのページをもっている女性で写真と文を載せておられます。で、それが発売になりましたので皆様にお知らせいたします。もし宜しければご購入くださいませ。綾の真赤な尻と私のヤラシイ手、そしてよく撓る安物の靴べらがなぜか美しくご覧いただけます。撮る人が撮ればこうも違うものなのでしょうか。
(苦笑)ナカヤマさんありがとう。

「魁」

S&Mスナイパー
2000年7月号 定価1200円

P042:(SNIPER PHOTO DOCUMENT)
辱 画 写真&文=なかやまあきこ
Nakayama Akiko

発売元・大洋図書
発行所・ワイレア出版

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2000.5.17

「神は細部に宿る」

私は女を縛ると夢中になる。人は夢中になると神経を集中させ、細心の注意を払うと思いがちだがそれは違うように思います。私の場合はただ無我夢中になるだけで出来あがった緊縛姿は、どこか間が抜けていることもあります。それはほんの少しの手抜きが全てを台無しにしていたり夢中になりすぎて縄のバランスを考えていないという見落としのようなものが時々あるのです。かと言ってどこをどのようにすれば良いのか思いつかないのです。そんな時、私は縄尻の処理を如何に美しく仕上げるかと考えます。丁寧に優しくゆっくりとじっくりと細心の注意を払いながら縄をきめていきます。これが全てを決定づけると自分に言い聞かせながら。
そんな時、神は少し微笑んでくれます。
私の経験では縛りに関して大切なことのひとつは「神は細部に宿る」と言う事です。また、これらは縛りに限ったことではなく万事に言えます。例えば、ある会社の優劣の判断基準として、その会社の玄関とトイレを見ると言う例えがあります。会社の懐だけ見てもその本質はつかめないと言う例えです。皆様も日常そしてSMにこの考えを生かしてみては如何でしょう。ただし神が細部に宿った時、女にもまた悪魔が宿ることがあります。
縄の取り扱いには充分ご注意を(笑)

「魁」

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2000.5.11

「おかげさまで100000アクセス!」

皆様、いつも大変お世話になっております。先日、おかげさまで100000アクセスを達成しました。これはひとえに当サイトを応援して下さった方々、またいつもご覧頂いた方々のお陰であると思っています。まだまだ先は長いのですが、取りあえずきりのよい数字を目標としておりました。今年の2月20日に立ち上げ、当初は確か一日数百のカウンターアップから始まったと記憶しております。今ではやっと一日1600から1700のカウンターアップになりました。私としては、ただ夢中で無い頭を捻って毎日更新をモットーに積み重ねてきました。そしてそれは今後も変わりません。また今度は海外に向かっての発信も考えております。(英語・・・どうしよう・・・誰か助けて(^^;;;)時期は未定ですが、必ず実行します。どうか今後とも皆様の暖かいご声援をよろしくお願い申し上げます。本当にありがとうございました。次は500000アクセスだ!(笑)

「魁」

「綾」からのメッセージ

ご主人様の陋屋が出来て、2ヶ月半が経ち、本日おかげさまで10万ヒットを迎える事が出来ました。そして綾がご主人様とお会いしてから5ヶ月が経とうとしています。その間に身体で、心で、いろいろな事を感じて参りました。ご主人様に縛っていただくことで、責めていただくことで、皆様とお話させていただくことで、そして綾の恥ずかしい姿を多くの皆様にご覧いただくことで・・・・これからも、その一つ一つを、綾なりに感じ、綾としてそしてご主人様の奴隷として成長していきたいと考えております。これからもそんな綾の姿を、皆様にご覧いただき、お楽しみいただき、感じていただければと願っております。ありがとうございました。これからもよろしくお願い申し上げます。

「綾」

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2000.4.5

「素晴らしい研究発表」

先日、某パソコン雑誌に興味深いことが書いてありました。アメリカで神経症について新たな研究発表がされたのだそうです。その内容は「週に11時間以上セックス専門サイトを見てさらに対人関係やSEXに対しての態度に異常がみられる人」を”サイバーセックス強迫症”と名づけられたとのこと。なんでも10項目のアンケートに答えて高得点を取るとサイバーセックス強迫症にされるのだそうです。いやぁ全く素晴らしい研究発表です。これで私は晴れて”極強度のサイバーセックス強迫症”だと言うことが判りました。ありがとうございました。以後注意しながらSEXしようと思います。それとこんな学術誌があったなんてちょっと驚きです。私もお勉強したい!その名も〜性的耽溺および強迫症〜世の中なんでもあるんですねぇ・・・・感心感心。

「魁」

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2000.3.31

「マゾ女への罰」

マゾに対して最大の虐めは虐めないことだという笑い話があるがこれは嘘ではない。奴隷が主人の意に背いた場合は決して責めたり仕置きを加えてはいけない。放っておくことが大切である。場合によっては捨てる覚悟が主人側になくてはならない。この女を捨てるのは惜しいからと言って判断を誤るとその時から主人としての立場は危ういものとなり何時の間にか形勢逆転となる。これでは主従関係とは言えない。奴隷である時は奴隷として徹底的に戒めることが必要であると私は思う。あくまでも責めと仕置きは私にとっては最大の褒美である。そして一方対人間として接する場合は相手を敬い認めてやることもまた忘れてはならない。女は普段の生活と奴隷としての性活を懸命にコントロールして生きている。精神的な不安定に陥ったり躁鬱を繰り返す女も多い。それら全てを受け入れ見つめてやるのが男であり主人であると思うのであるが如何だろうか。
「何?バレンタインデーのお返し?知らん、そんなの・・・」

「魁」

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2000.3.19

「マゾ女性はどうやって見つけるの?」

さまざまなSMサイトでこれに関するFAQが掲載されている。また私のところにも何通かのお問い合わせを頂いているので私なりの見解を述べさせて頂きます。私は若い頃に街角に立ち、数え切れないほ どの女性に声を掛けマゾ女性を懸命に探しました。その数は5000人は超えるかもしれません。よく「どうすれば奴隷が見つかりますか?」というご質問に対しての答えですが私は簡単です。「一日100人の女性に声を掛けてみなさい。」です。これを繰り返して3ケ月もすればまず間違いなく見つけることができます。一日100人もの女性に声を掛けているとそれなりに女性との会話に慣れてきます。そして街行く女性に声を掛けることに何の恥ずかしさも感じなくなります。「そんなことまでしなくてはならないの?」と言う貴方の考えは少し甘いかもしれません。本当に欲しいのならできるはずです。またこれが出来ないのなら何時現れるか分からない女神を指を咥えて待っているしかないでしょう。そしてもうひとつはそれを維持するだけの経済力が必要となります。私も若い頃から計算すると想像を絶するお金を使ってきたように思います(苦笑)。沢山の借金を抱え今も青息吐息ですがまったく後悔していません。それぐらいの馬鹿にならないと本望は達成できないのではないかと思っているのです。幾ら借金したかって?それはナイショさ。(笑)
「さぁ、若きネットSM愛好者よ、パソコンを捨て街にでよう。(爆)」

「魁」

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2000.3.5

「恐ろしやマゾ女」

マゾ女を単純に分類することは難しいのですが私の経験上、大まかには三つに分類できます。ひとつは肉体的被虐感を持った女性ひとつは精神的な被虐感を持った女性すなわち従属することにより快楽を得る女性のことです。三つ目はその両方を適当に兼ね備えた女性のことです。2番目3番目はよくあるタイプですが問題は1番目の女性でしょう。一見サド男性にとって理想的女性と考えがちですが大焼けどをすることもあるようです。この手の女性はサディスト泣かせかもしれません。女の底知れない欲望が強い被虐感となって現れます。これは本当にあった話ですが被虐感に目覚めてその欲求が膨張していき4回も離婚を繰り返している女性がいます。より強く残忍な相手を望んでいくのだそうで、それまではサディストで名の通った男性もこの女神には適わなかったようです。最後には自分の命を奪ってほしいとでも言い出すのでしょうか。サド男性がマゾ女性から三行半、挙句に慰謝料までとられるという逆転現象もあるのです。世の中にはこのような怖いマゾ女性もいることをお忘れなく。(笑)私も肉体的なマゾ女性とプレイする時は緊張します。下手な手抜きや同情は相手にすぐに悟られます。次から次へと手加減なく責めていかなくてはならない。しかし責めれば責めるほどマゾ女性は欲望と言う舌先で私の責めをペロリと舐めとって底無しの胃袋へ流し込むのです。
「ねぇ、そんなもん?もっとして。」と肩を振るわせながらも薄笑いを浮かべて私に囁くのです。美しくもおぞましい彼女の笑みは一生忘れることはないでしょう。私の非力さを痛感した貴重な体験のお話でした。ところで先ほどのマゾ女性に捨てられた哀れなサド男性はどうなったのでしょう。。。
「ん?もしかして。。。」

「魁」

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2000.2.23

「素人」

「何で縛らなくちゃいけないのか」。答えは「そこに縄があるからだ。」ではない。縛る事で縛る事の答えを探しているように思う。全くのジレンマに陥ったようなものだ。闇雲に縛っていくと何か光が見えてくる。そこでまた縛り直す。
何かが足りない。何かが余計だ。また縛り直す。私に付き合った女性はたまったものではない。好きでなければ耐えられないだろう。何度も縛っていくうちに夜明け前になる。精も根も尽き果てた瞬間がやってくる。暁闇の一瞬に静かに縄がうねりだす。私の手から離れて女体をスルスルと巻いていく。女もまた私の手から離れ縄に身を任せている。私は黙ってそれを眺めている。
やがて夜明がくるとふと我に返る。
「あ。。。出来た。」

「魁」

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2000.2.11

「変態さんが生きる」

「変態」さんはなぜ肩身が狭いかと言うと世の中に数少ないと認識されているからです。また世の中に数少ないものはとてもとてもいけないことだと教えられているからです。御自身が「変態」であることで悩まれている方がおそらく大勢いらっしゃることでしょう。この世界は様々なきっかけで入り込み抜け出せなくなるものだと認識されていますし、事実性的な嗜好はなかなか更正することは難しいものです。「私はお尻が好き」と言う人に 「お○○こを好きになれ」とか「おっぱいに興味を持て」と教えたところで無駄なことでしょう。大きなお世話です。そんなこと気にせずに楽しみたい時に楽しむようにしては如何でしょう。他人様に迷惑をかけずに楽しむ分にはまったく問題ないと私は思っています。またこのような嗜好も時によっては消えたり、また突然何処からか沸いてきたりもします。なぜなら性欲だからです。いつも変態嗜好とは限りません。これは最近特に感じる事ですが、私が知る限りにおいては「変態さん」の方がむしろ人間的であり知識や情にあふれた良識人ばかりなのはなぜなのでしょう。また非情に人間的プライドが高い方も多い。全く持って不可思議な事実です。もしかしたら「変態」は神がもたらした希少な生き物かも知れません。。。。(爆)
御自身が「変態」だと感じている方。静かに世の中の片隅で生き続けようではありませんか。日の目を浴びる事なく生きようではありませんか。我々に市民権などはいらない。そんなものあったら「変態さん」とは言えないのです。

「魁」

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